『夜空に泳ぐチョコレートグラミー』は、さまざまな生きづらさを抱えた人たちの人生を描く、町田そのこさんの連作短編集です。
扱われているものには決して軽くないテーマもあり、読んでいて胸が苦しくなる場面もあります。それでも、不思議と暗さだけが残る作品ではありません。
私が特に惹かれたのは、重い物語と、町田そのこさんらしい柔らかく茶目っけのある文章とのコントラストでした。
この記事では、『夜空に泳ぐチョコレートグラミー』に収録された5編のあらすじや魅力、読んで特に印象に残ったところを、物語の核心には触れずネタバレなしで紹介します。
『夜空に泳ぐチョコレートグラミー』の作品情報
『夜空に泳ぐチョコレートグラミー』は、町田そのこさんのデビュー作となった連作短編集です。
- 作品名:夜空に泳ぐチョコレートグラミー
- 著者:町田そのこ
- 出版社:新潮社
- 発売日:2017年8月22日
- ジャンル:文学・評論
- 収録作品:全5編
- ページ数:336ページ
- ISBN:978-4-10-102741-8
収録作「カメルーンの青い魚」は、第15回「女による女のためのR-18文学賞」大賞受賞作です。
その作品を含む5編を収録した『夜空に泳ぐチョコレートグラミー』が、町田そのこさんのデビュー作として刊行されました。
収録されているのは、次の5編です。
- カメルーンの青い魚
- 夜空に泳ぐチョコレートグラミー
- 波間に浮かぶイエロー
- 溺れるスイミー
- 海になる
3行でわかる『夜空に泳ぐチョコレートグラミー』
- 生きづらさを抱えながら懸命に生きる人たちを描いた5編の連作短編集
- 重い題材と、柔らかく親しみやすい文章とのコントラストが印象的
- ほろ苦さを残しながらも、読み終えたあとに重さだけを残さない物語
『夜空に泳ぐチョコレートグラミー』5編のあらすじをネタバレなしで紹介
本作は、それぞれ異なる人物を中心に描いた5つの物語からできています。
一編ずつでも楽しめますが、読み進めていくと登場人物や場所が少しずつつながっていることに気づく構成になっています。
ここでは、物語の仕掛けや後半の展開には触れず、それぞれの入口だけを紹介します。
「カメルーンの青い魚」
祖母に育てられた「さきこ」と、幼いころから街に居つかず、自由に生きてきた「りゅうちゃん」。
かつて惹かれ合っていた二人でしたが、りゅうちゃんはさきこの前から姿を消します。
それから長い年月が経ち、さきこが新しい生活を送るようになったころ、りゅうちゃんが再び姿を現します。
過去に強く惹かれた相手との再会をきっかけに、さきこの現在と過去が交わっていく物語です。
「夜空に泳ぐチョコレートグラミー」
中学生の晴子は、祖母の烈子に大切に育てられてきました。
烈子に守られながら暮らしてきた晴子でしたが、祖母が認知症になったことで、これまでと同じ生活を続けることが難しくなっていきます。
守られてきた場所から離れ、自分自身で生きていかなければならなくなる晴子。
そんな彼女の不安や「強くなりたい」という思いが描かれます。
「波間に浮かぶイエロー」
軽食店「ブルーリボン」で働く沙世と、店を営む芙美。
そこへ、芙美の昔の同僚だった環が突然やってきます。
夫との関係に問題を抱え、妊娠中でもある環は、しばらく芙美たちと一緒に生活することになります。
少し変わった共同生活が始まり、その中で芙美と環の過去や、二人の間にある複雑な思いが少しずつ見えてきます。
「溺れるスイミー」
唯子には、結婚を申し込んでくれている恋人がいます。
一見すれば、そのまま結婚して穏やかな人生へ進んでも不思議ではありません。
それなのに、唯子はなぜか返事をすることができません。
彼女の父親には放浪癖があり、家族と一緒に暮らし続けることのできない人でした。
父親のようにはなりたくないと思いながらも、心のどこかでは自分も「ここではないどこか」へ行きたいと願っている唯子。
安定した人生と、自分の中にある衝動との間で揺れる女性の物語です。
「海になる」
桜子は、大きな喪失と夫との苦しい関係の中で、生きることそのものに疲れ果てています。
そんな桜子の前に現れるのが、同じように大切なものを失った清音です。
深い傷を抱えた二人が出会い、それぞれの人生と向き合っていきます。
5編の最後に置かれた物語として、それまで描かれてきた人と人とのつながりも感じられる一編です。
生きづらさを抱えながら、それでも泳ぎ続ける人たち
私が『夜空に泳ぐチョコレートグラミー』を読んで最も強く感じたのは、生きづらさを抱えながらも、それぞれが必死に生きようとしている物語だということでした。
登場人物たちは、それぞれ簡単には解決できない事情を抱えています。
家族との関係、恋愛、過去の出来事、自分自身の性質。
どう努力しても思い通りにならないこともあれば、自分でもどうしてそんな選択をしてしまうのか分からないようなこともあります。
だからこそ、登場人物たちは決して完璧ではありません。
傷ついたり、感情的になったり、間違った選択をしたり、ときには誰かを傷つけたりします。
それでも、自分なりの方法でどうにか生きていこうとする。
その不器用さまで含めて人間らしく描かれているところが、本作の大きな魅力だと思いました。
誰かの脇役にも、その人自身の人生がある
本作は5つの短編からできていますが、それぞれの物語は完全に独立しているわけではありません。
前の物語に登場していた人物が、別の一編でも姿を見せることがあります。
そのつながり方が、私はとても好きでした。
大きな謎が一つにつながっていくような連作ではなく、「あ、この人はここにもいたんだ」と気づくような緩やかなつながりです。
ある物語では脇役に見えていた人も、別の角度から見れば、その人自身の悩みや過去を抱えて生きています。
当然のことではありますが、誰かの人生では脇役だった人にも、その人自身が主人公となる人生があるんですよね。
5編を読んでいくうちに、一人ひとりの人生が重なり合って、この街に暮らす人たちの世界が少しずつ広がっていく。
短編集でありながら、一冊を読み終えたときには一つの大きな物語に触れたような感覚が残りました。
重い物語と柔らかな文章のコントラスト
本作には、かなり重い題材を扱った短編もあります。
それなのに、読んでいる間ずっと息苦しさが続くわけではありません。
その大きな理由の一つが、町田そのこさんの柔らかみがあって、どこか茶目っけのある文章だと思います。
シリアスな状況の中にも、人間のおかしさや生活感が自然に入り込んできます。
登場人物同士のやり取りに少し笑えるところがあったり、どこか親しみやすさを感じたりする。
だからこそ、本当に重い場面が訪れたときには、その感情がより強く伝わってきました。
初めから最後まで暗い文章の中で悲しい出来事が描かれるのとは、少し違います。
明るさや柔らかさを感じていたところから、登場人物の抱えていた感情が突然あふれ出してくる。
その落差によって、私も一気に物語へ引き込まれました。
まるで自分が主人公になったように入り込んでしまう
私は本作を読んでいて、かなり登場人物へ感情移入しました。
客観的に「この人は大変なんだな」と眺めているというより、いつの間にか自分までその人物になったような感覚で読んでいた場面があります。
もちろん、登場人物たちは必ずしも共感しやすい人ばかりではありません。
「なぜそんなことをするんだろう」と思うこともあります。
それでも、そこへ至るまでの感情が丁寧に描かれているので、単純に正しい、間違っているだけでは片づけられません。
気づけば、その人物と同じ場所に立って、一緒に悩んでいるような感覚になっていました。
文章の中に登場人物の感情がしっかり込められているからこそ、ここまで物語に入り込めたのだと思います。
特に印象に残った「波間に浮かぶイエロー」
5編の中で、私が特に好きだったのは「波間に浮かぶイエロー」です。
ただ、この作品について詳しく説明すると、一番面白い部分そのものをネタバレしてしまいます。
そのため、ここではあえて詳しい内容には触れません。
特に印象に残ったのが、環と芙美の関係です。
芙美は、最初に登場したときと最後まで読んだあとで、私の中での印象がかなり変わった人物でした。
最初はかなり癖の強い人物に見えました。
ところが読み進めていくうちに、不器用ながらも面倒見がよく、優しい人なのだと分かってきます。
そして物語が進み、ある事実が分かった瞬間、それまで読んできた場面の見え方まで大きく変わりました。
私はここで思わず鳥肌が立ちました。
ただ驚かされるだけではありません。
そこには、誰かを思い続ける気持ちや、その思いを別の誰かが受け取ることの重さがあります。
感動的なのに、どこかほろ苦くて切ない。
それでも確かに人の優しさが残っている。
「波間に浮かぶイエロー」は、本作の中でも特に、読み終えたあとでもう一度登場人物について考えたくなった一編でした。
町田そのこさんの文章がやっぱり好き
『夜空に泳ぐチョコレートグラミー』を読んで改めて感じたのが、私は町田そのこさんの文章がかなり好きだということです。
重い出来事を扱っていても、文章そのものまで必要以上に暗くならない。
柔らかさがあり、ときには少し茶目っけもあります。
登場人物同士のやり取りにも生活感があって、「小説の中の人物」というより、本当にどこかで暮らしていそうな人たちに感じられました。
だからこそ、シリアスな場面で空気が変わったとき、その感情が強く伝わってきます。
普段との落差があるから、苦しさも切なさもより鮮明になる。
私はこのコントラストがとても好きでした。
『夜空に泳ぐチョコレートグラミー』は町田そのこさんのデビュー作ですが、後の作品にもつながっていくような、人間の弱さや痛みに寄り添う視線を感じられる一冊だと思います。
読み終えたあとに重さだけを残さない
本作は、すべてがきれいに解決して「みんな幸せになりました」と終わるような作品ではありません。
少なくとも私は、完全なハッピーエンドという印象は受けませんでした。
それでも、読み終えたあとに絶望感ばかりが残るわけでもありません。
苦しさや切なさは確かに残っている。
けれど、登場人物たちはきっとこの先も生きていくのだろうと思える。
私はその余韻がとても好きでした。
タイトルや各短編には、魚や海、水にまつわる言葉が多く使われています。
人生も、いつも穏やかな水の中をまっすぐ進めるわけではありません。
思うように進めなかったり、流されたり、ときには溺れそうになったりする。
それでも、それぞれのやり方で泳ぎ続けていく。
5つの物語を読み終えたとき、私はそんな人たちの姿を見ていたように感じました。
『夜空に泳ぐチョコレートグラミー』はこんな人におすすめ
本作は、特に次のような人におすすめしたい作品です。
- 登場人物の心理を丁寧に描いた小説が好きな人
- 生きづらさや人とのつながりを描いたヒューマンドラマが好きな人
- 独立した物語が少しずつつながっていく連作短編集が好きな人
- 重いだけではなく、どこかに優しさの残る作品を読みたい人
- 町田そのこさんの作品が好きな人
- 読み終えたあとにも登場人物について考えたくなる小説を探している人
短編集なので、一編ずつ区切って読めるのも魅力です。
一方で、5編すべてを読むことで人と人とのつながりが見えてくるため、短編集ならではの読みやすさと、長編のようなまとまりの両方を楽しめます。
合わないかもしれない人
一方で、明るく気楽に読める作品を求めている人には、少し重く感じるかもしれません。
登場人物たちが抱えている事情にはシリアスなものもあり、家族や恋愛、人間関係の苦しさに触れる場面もあります。
また、すべてが分かりやすく解決する物語や、完全なハッピーエンドを求めている人の場合、少し苦さが残るかもしれません。
ただ、私はその「きれいに片づけすぎない」ところも本作の魅力だと感じました。
人生そのものが、すべて納得できる形で解決していくわけではありません。
それでも生きていく人たちを描いているからこそ、この作品には独特の余韻が残るのだと思います。
まとめ:生きづらさを抱えながら、それでも泳ぎ続ける人たちの物語
『夜空に泳ぐチョコレートグラミー』は、生きづらさを抱えながら懸命に生きる人たちを描いた5編の連作短編集です。
扱われるテーマには重さがありますが、町田そのこさんの柔らかく、時には茶目っけのある文章によって、暗さだけに支配される作品にはなっていません。
むしろ、その明るさがあるからこそ、登場人物の悲しみや苦しさがあふれ出す場面では、こちらまで強く感情を揺さぶられました。
また、5つの物語が緩やかにつながっているところも本作の大きな魅力です。
ある物語では脇役だった人にも、その人自身が主人公となる人生がある。
読み進めるほど、一人ひとりの人生が重なり合っていく感覚がありました。
中でも私は「波間に浮かぶイエロー」が特に印象に残っています。
詳しい内容は未読の方のために伏せますが、読み終えたあとに人物への印象が大きく変わり、人を思う気持ちについて考えさせられた一編でした。
決して、すべてが幸せに解決する物語ではありません。
それでも、苦しい場所からどうにか前へ進もうとする人たちの姿を見ていると、最後には重さだけではないものが残ります。
少しほろ苦く、それでもどこか優しい。
生きることの苦しさだけではなく、それでも自分なりに泳ぎ続けようとする人の強さを感じられる一冊でした。

